🌕6月30日高田馬場ときわ座、7月13日国立ギャラリービブリオ🌕


🟡 7月13日(土)国立ギャラリービブリオ
16:30open 17:00 start チャージ2500円
「恋うたでない恋うた」
パロミタ友美ソロ・バウル歌舞い

🟡6月30日(日)高田馬場ときわ座
13:00op / 13:30st / ¥2500+飲み物
Withナマステ楽団
この日は自作の日本語の歌のみをがっつり歌います。

インドへの(変則的な)道のり〜神話の生きる国

「どうしてインドにハマったの?」
「どうしてサンスクリット語を学ぼうと思ったの?」
よく訊かれる質問で、
どこの国でも必ず尋ねられます。

私は正直、
初めからインドに行きたかった
訳ではありませんでした。
インドの事を学んでも
インドに行く気は無かった
と言っても過言ではありません。

今も、ハマっていると言われると
違和感があります。
何というか、
とにかくご縁が重なって、
私の人生と分かち難くなってしまった。

「たまたま日本に生まれてしまった」
のと同じぐらいの感じで
インドと縁深くなってしまいました。

古代好きな子ども

そもそものキッカケは、
古代への興味です。

古代に憧れた小学生時代
卑弥呼や聖徳太子の本などを読み、
ハニワが好きでした。
縄文土器ではなく埴輪です。
この頃が一番本を読んでいたかも。

学校から帰ったらすぐに、
自転車で隣町の図書館に行きました。
文庫になっているような漫画がたくさんあって、
手塚治虫も含め、SFや歴史系の漫画をここでたくさん借りて読みました。

主に読み漁っていたのは古代日本についてだったけれど
当時から、どちらかと言えば
より広範な「古代世界」に憧れていて
正倉院からシルクロード世界に繋がるという事などに
すごくときめいていました。

卑弥呼も聖徳太子も、今にして思えば
当時の外交を行なっていたという点で
(だからこそ歴史に残っている訳ですが)
より魅力的に感じていたのです。

「古語」サンスクリット語への
うっすらとした興味は
この頃からありました。
お墓の卒塔婆などに書かれている呪文のような文字は
仏教を通して伝わった
当時のサンスクリット語の文字です。

海洋の人類史への憧れ

なぜか海洋への憧れがあったのは
幼い頃にシドニーのビーチに親しんでいたからか
それこそ先住民アボリジニに関連して
太平洋の航海に何か思い入れがあったのか

6万年前?にアボリジニが
オーストラリアに舟でやって来た、
というイメージが
なぜか心に強く残っていました。

これは余談になってしまうけど、
日本に帰って来てすごく衝撃だったのは
「アボリジニ」と言っても通じない事でした。
私にとっては常識の一部だったので。

幼い時に博物館で夢中になった
アボリジニの世界は、
案外とその後の私に影響を与えているのかもしれない
と、今になって思います。

日本の南部や、
台湾や韓国や中国南部から
東南アジア世界を経て
オーストラリアにも
インドにも繋がってしまう
海洋の世界。

のちに、インド=ヨーロッパ系の北インドよりも
海路で東南アジアに繋がっている(と当時は思った)
ドラヴィダ系の南インドの方に興味を持ったのは
そういった影響もあったのかもしれません。
(実際には、北インドも
東南アジア世界と海路・陸路問わず
関わりがあります)

スリランカの写真

そもそも、インドではなくて
スリランカに興味を持ったのが
大学進学を考えていた
高校生の時でした。

高校の図書室で、たまたま開いた
何かの写真集で、
大きな菩提樹?の下に
僧侶が座っている写真に
何だか物凄く
惹きつけられたのです。
スリランカの写真でした。

なぜそれほど
その写真に惹きつけられたのか
今となっては分かりませんが
(そもそも何の写真集だったのか)
たぶん私はそこに、
古代への通路を見たのです。

そこからスリランカについて学びたいと思い、
けれども当時、
スリランカについて学ぶなら
紛争解決などの分野になってしまう
ような状況だったので、
結果的にインドについて学ぶ事になりました。

この頃、既に
オーストラリアの大学への
進学を決めていたので
高校のAETの先生に
時々会話の練習をしていただいていました。

帰国子女と言っても、
この頃には大して話せなくなっていたので。
この先生がインド系だったのも、
ちょっと面白いご縁だなと思います。
この時にはインド系の事を勉強したいと決めていて、そんな話もしました。

なぜかオーストラリアでインドを学ぶ

日本で高校を卒業して
オーストラリアに行ったのですが、
英語圏以外の高校から大学に行く場合
ブリッジングスクールに行く必要があり
半年ほど行きました。

ちょうどその年、
サンスクリットの博士号を取った
マッコーマス・テイラー博士が
アジア研究学部に着任して
サンスクリット専攻ができました。

インドについて学ぶという事で
ヒンディー語専攻を考えていたのですが
興味があったのは古代の方で
むしろ現代インドには
興味が無かったので
古い言葉であるサンスクリット語に
秒で決めました。

(ミュージカルみたいな
ヒンディー語のインド映画は
人に勧められて
楽しかったので
在学中にたくさん見ました。)

それでサンスクリット語
専攻3年目にして
「一応インドにも行っておいた方がいいな」
と、ひと月南インドに滞在して
歌や絵や言葉を習ったのが
私の初インドです。

神話の生きる国、インド

最初にインドに行ってから
次に行くまでには、
3年ぐらいの開きがあります。

この間には、日本に定住しようとしたり
やっぱりキツイと絶望したり
しかもインドに行ったら行ったで
東日本大震災が起こったりするのですが

この2度目のインド行きが
無ければ、
私はここまで
インドと行き来する人生に
なっていなかったでしょう。

ところで突然ですが
私は昔からファンタジー小説が
好きでした。(漫画もです)
ある時期までは、
自分でも小説を書いていました。

ファンタジーとは、つまり
神話を現代の創作の様式に
持ち込んだカタチだと
思っています。
ほんの数世紀前までは
「歴史」の一部という位置づけだったり
ただの「小説」であったもの
今はファンタジーと呼ばれます。

そして今でも、
世界の多くの場所では
ファンタジーは
歴史であったり
現実の一部であったりします。

そういう実感というものを
ボンヤリと得たのが
2度目のインド滞在でした。

究極的には、
私が大学院を辞め、
小説を書くのも辞めたのは、
神話を研究するよりも
ファンタジーを描くよりも
現代で神話を生きる
という事に、
専念してみたくなったから
なのだと思います。

こういう事を言うのは、
多分とてもリスキーで
様々に誤解を得やすく
型にはめられやすい上に
偉そうに言えるほど
実践できているのか
という問いが
いつまでも残ります。

けれども、私が
インドに「ハマった」
理由があるとすれば、
私はそれを
インドで学び、
学び続ける事に
したからなのです。

この現代に生きながら
神話や、古代と
時におどろおどろしい程に
地続きである
という実感を
私はインドで初めて強く
得たのでした。

 

この話は、ドリーミングの話に
続きます。

ドリーミングの衝撃〜芸能はコミュニケーション

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