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仏伝「ナロク」⑧

アバニーンドラナート・タゴールによる
児童文学の名作、仏伝「ナロク」。
毎月1日と15日の更新で
少しずつ翻訳連載していきます。

ベンガル語の原作からの翻訳ですが、
所々英訳”Nalak”を参考にしています。

改行は、スマホやブラウザで
読みやすいような形に
工夫したものです。

王も民人も、子どもも大人も——
あらゆる人の心の
望みを満たしながら、
シッダールタがその日、
ラージャゲーハの街の家から家へ、
道から道へとしたようには、
このように托鉢をして
受け取る乞食も、
このように差し出す人々も、
また現れることは無いでしょう。

あまりにも多くの宝石や真珠、
金や銀、衣服や装飾品が、
シッダールタの両の手に溢れ、
ラージャゲーハの道から道に
こぼれ落ちています。
これほどの豊かさは、
王でさえ見たことがありませんでした。

シッダールタは、
こぶし一握りばかりの
米を手に取ると、
あとの金銀財宝は
マガダ国の貧しく
恵まれない人々に差し上げて、
去って行きました。

学者<<パンディット>>ウダラカは
700の弟子を連れて
ゴーワーリー地域に
道場を開いていました。

シッダールタはそこに行って、
この学者の下で聖典を学びました。
ウダラカほどの学者は、この時、
インドにも世界にも
他にはいませんでした。

聖仙ヴャーサのごとき頭脳に、
ガネーシャの腹——
このふたつを兼ね備えて
化身したのが
聖典学者ウダラカだと
言われていました。

シッダールタは数日で、
あらゆる聖典について、
ふたりと見ない学者になりました。
どのような法も、
どのような聖典も、
もはや知らぬ物はありませんでした。

やがてある日、師匠に
質問をしました——
「苦しみはどうすれば去るでしょうか」

ウダラカはシッダールタに言いました——
「来なさい、お前と私のふたりで、
大きな学び舎を作り、
四方に知らせを送ろう。
国内外から生徒が集まるだろう。

たいへんな喜びと安らぎのうちに
日々が過ぎるだろう。
苦しみの根はこの腹にある。
腹を落ち着かせておけば、
苦しみはおまえの領域に
やっては来られない事が分かる」

学者ウダラカから距離を取り、
礼をすると
シッダールタは
学び舎にいとまを告げました。

村の道を、ウダラカの
700人の弟子たちが
お菓子を運んで来るのが見えます——
お師匠の腹を落ち着かせるために。

シッダールタは
村の街道から外れて、
森の中へと入って行きました。

この森の中で、シッダールタは
カウンディニャにまみえました。
彼こそが、かつて
シュッドーダナ王の宮廷で占を行い、
シッダールタは確実に俗世を捨て、
覚者となるでしょう
と告げた人でした。

カウンディニャと共に、
4人のバラモン子息がいました。
彼らは皆、
シッダールタの弟子となり
お世話をするために
出家し、カピラヴァーストゥから
やって来たのでした。

アンジャナー川の岸辺に、
ウラーイラの森がありました。
そこでシッダールタは
苦行を行いました——
苦しみの終わりはどこにあるのか、
それを知るために。

聖典に書かれているように、
先師たちが言われたように、
何年も何年も、
シッダールタは坐り
苦行を行いました。

厳しい苦行
——恐ろしい苦行——
冬も、夏も、雨季も、雨の中、
食べもせず、同じ姿勢で座り続ける、
このような苦行はこれまで
誰も行ったことがありません!

厳しい苦行により、
シッダールタの体は痩せこけ、
棒切れのようになってしまいました。
もう一滴の血も残っていません——
見ただけでは、まだ生きているのか、
わからないほどです!

力に溢れ、美しさと、よろこびと、
輝きに満ちていたシッダールタは、
すさまじい苦行によって、
そのすべてが、ひとつひとつ、
失われてしまいました。

彼を見て、人であることすら
分かる人はいないでしょう——
まるで干からびた木のように、
立っているだけ。

このように
何日も何日も過ぎました。
そうして新年の
ボイシャク月のある日、
木々には新芽が芽吹き、
瑞々しい実が、
花がつく頃のことです。

たくさんの鳥が、蝶が、
鹿が、孔雀が、森の中を飛び、
駆け抜けて行きました。

皆、まるで何かのよろこびに
突き動かされるように、
目覚めるや駆け出し、
飛び、歌い、遊びながら
森の中を通って行きます。

シッダールタの5人の弟子は、
森の奥深くから、誰かが
一絃琴を奏でて
うたを歌うのを耳にしました。

大変な時間を経て、
本当に久しぶりに、
シッダールタの不動の両まぶたが、
少しだけ震えるのを、
弟子たちは目にしました——
枯れた花びらが、
風にかすかに震えるように。

日が落ち始めました。
木々の間を通り、
入り日の赤い光が
川岸から森の小道まで
染め上げて行きました——
出家者の茶褐色の衣のように。

鹿の群れが、川の砂浜に
水を飲みに降り立ちました。
樹下では一羽の孔雀が、
涼風に羽根を晒して、
日が落ちる前に深く息を吸うや、
ひとさし舞いました。

その時、シッダールタの目が
開こうとしました——
弟子たちは見ました、
かの方の肉体は
あまりにも弱っていて、
歩くことができません。

川岸のアムラ(インドスグリ)の木が、
傾いて水に浸っているのを、
シッダールタはその
枝の一本に掴まって、
ゆっくりと水に入っていきました。

それから非常に苦労をしながら、
川から上がり、
いくつものアムラの実を
踏み潰しながら、
森の方に向かおうというところで、
気を失って川の中に
倒れ込んでしまいました。

弟子たちは走り寄って、
シッダールタを支え、
抱えながら、
アーシュラムに連れて行きました。

それから丁寧な世話をされて、
シッダールタは健やかに
起き上がりました。

カウンディニャは尋ねました—
「師よ、苦しみの終わりを
知ることはできましたか」

シッダールタは首を振りました。
「いえ——まだ」。

あとの4人の
弟子たちが言いました——
「師よ、それならばあと一度、
ヨーガにお坐りください——
苦しみの終わりが
あるのかを知るために」。

シッダールタは
何も答えませんでした。
しかし弟子たちの言葉に
答えるかのように、
ひとりの気狂いが、
森の奥深くから
一絃琴を奏でて
歌い出しました——
「違う! 違う!
違うったら、違うのだ!」

Abanindranath Tagore’s illustration copied and reproduced (with certain re-arrangements), then coloured with Japanese watercolour by Tomomi Paromita. (挿絵を模写の上、独自に着彩。)

カウンディニャが言いました——
「それを知るためには、
何の手立てもないのでしょうか、師よ」。

シッダールタは言いました——
「今のところ何の手がかりも無い。
しかし見よ、その前に
この肉体はすっかり
弱ってしまった。

いたづらにヨーガを行って
壊してしまったようなものだ。
まずはこの体に
精を取り戻さなければならない、
苦しみの終わりを知るためにも。

熱に欠けた心、貧弱な体では
どんな仕事もできまい。
肉体は力を失わせるべきではない、
心は熱を失わせるべきではない。

贅に傾くべきではないが、
貧に傾いてもいけない。
肉体は心に
過剰な快を与えるべきではないが、
過剰な苦も与えるべきではない。
そうして初めて力が保たれ、
仕事もでき、手がかりが掴めるだろう。

一絃琴の弦を
無理に張れば、ちぎれてしまうように、
負荷をかけ過ぎれば
肉体も心も壊れてしまう。
逆に弦を緩めすぎれば、
どんな音も奏でられない。

そのように肉体と心も
快や怠けに耽ってしまうと、
何の仕事もできなくなってしまう。
ただいたづらにヨーガをして
肉体と心から熱を奪っても
得るものは何も無いが、
ただ贅沢や怠慢に身を任せて
仕事をしなくても
得るものは無い——
中道を行くべきなのだ」

その日から、弟子たちの目の前で、
シッダールタは
灰を体に塗りたくったり、
結跏趺坐で坐り続けたり、
ニャーサ、クンバカ、ジャパや
ドゥニー、ドゥンチなどの、
出家者らしい行をすべて辞めてしまい、
かつてのように
村々を托鉢して歩くようになりました。

まあたらしい衣をいただけば
それを身につけ、
上等な食べ物をいただけば
それを食べました。
弟子たちは、それが気に入りませんでした。

訳責:パロミタ
訳文の著作権はパロミタにあります。
無断転載厳禁。
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