これも主に、ケーララ時代からの観察の経験になります。
実は、私が最初にインドのケーララを訪れて滞在した時、
一番感じ入ったのは、地元での芸能のあり方でした。
その時滞在したのは、
外国人がインド芸能を学べるカルチャーセンターのような所で
フランス人のカタカリ役者が開いて
既に30年ぐらいは続いている施設でした
(今は閉鎖してしまいました)。
外国人の生徒は、いつも満杯にいる訳ではない事もあり
先生方は、地元の子供たちや大人たちにもお稽古をしていました。
歌の先生の所に来る主婦たち。
学校が終わってから来る子供たち。
そこに混じって歌うお父さん。
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ふざける子供たちに、先生が棒を出して怒る振りをしても
子供たちは笑うばかりで、先生は
「自分が子供の頃は、これが本当に怖かったんだけどね…」
と、時代を受け入れつつ複雑な様子。
踊りのお稽古を見学させていただいた時、
先生が厳しい顔で
「テイ、テイ、ター…テイ、テイ、…」
と拍子を取るのに
必死で合わせる少女たち。
何と表現したら良いのか、
その田舎の村では、確かに
伝統芸能が生きているように
その時の私は感じたのです。
今の私は、その時教えられていた伝統芸能が
「地元ケーララの」というよりは
「南インド全体の」ものだという知識があるし
私は「たまたま、そういう場面に居合わせただけ」
とも言えるのだと思います。
けれども日本で全く伝統芸能に触れずに育ち
ピアノや西洋画やテニスをお稽古で習ってきた私には
何だかすごい衝撃のようなものが
あったのでした。
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その数年後、IT企業での日本語研修の講師として
再びケーララに住んでいた時
「サトーさんは自分たちよりもインド芸能に詳しい」
とはよく言われたし、
今はインド人でもインドの伝統芸能の事を何にも知らないんだ、
などもよく聞きました。
在日インド人コミュニティでも、
古典音楽など古典芸能に興味を持っているのは
本当に限られた人数です。
中流層の親たちは、子どもに
南インドの芸能を学ばせるか、
北インドの芸能を学ばせるか、
あるいはピアノやドラムなどを学ばせるか。
そんな悩みもあったようです。
ケーララなど保守的な地域では、
あまり子どもだけで出歩いたり遊ぶという事は無く、
「本当にいつも家にいるなあ」
と感じたものでした。
安全上の理由もあったのだとは思います。
それで中流層の子どもは、
親に連れられて
いくつもの習い事をしているようでした。
ケーララでは「ユースフェスティバル」という
10代の学生たちの芸能大会があり
この競技競争が非常に熾烈で
のちの進学や就職に影響する事が知られています。
そういう事への準備、という意味合いもあるのでしょう。
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「中流層の」と繰り返しているのは、
今にして思えば、
私が周囲で見かけたのは多くはそういう人たちで
もっと貧しい人々はひょっとしたら
伝統芸能と言ったらお祭で見るだけとか
そういう感じだったのかもしれない、と
今になって想像するからです。
中東に出稼ぎに行って、
タクシーの運転手などを10年以上やって帰って来て、
IT企業のバス運転手をやっている方もいました。
彼らの子どもたちは、伝統芸能と
何か少しでも関わりがあったのかどうか。
*
でも、最初に滞在した村の子どもたちは
本当にただ、地元の子どもたちでした。
今にして思えば、その地域密着の何か温度が、
当時の私の胸を打ったのだと思います。
最近、ベンガルにある師匠のアシュラムで
周囲の村の子どもたちを対象に
(比較的貧しい村々です)
月に一度「ヨーガ・キャンプ」を行なっていて、
「あの子たちは本当に、インドの伝統の事を何にも習う事ができずに育ってる!」
と言われる子どもたちなどを見ていて
かつて見たケーララのお稽古風景などに
思いを馳せたのでした。
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