12月15日〜ベンガル民俗画・ポトゥア絵のウェブ販売をします。

「バウルの歌を探しに」〜バウルを知らない人にいつも勧める本

何百年もの間、ベンガル地方で歌い継がれ、今日も誰かが口ずさむバウルの歌。宗教なのか、哲学なのか、それとも?? 譜面にも残されていないその歌を追いかけて、バングラデシュの喧噪に紛れ込んだ。音色に導かれるかのように聖者廟、聖地、祭、ガンジス河を転々とした先に見つけたものとは。12日間の彷徨の記録。第33回新田次郎文学賞受賞作。

川内有緒さんの「バウルの歌を探しに」は
バウルの事を全く知らないという方に
たびたびお勧めしてきた本なのですが、
考えてみれば敢えて書いたりした事は無かったかもしれません。

久々に読み返してみようと思ったら見つからず、
(我が家にある/ったのは幻冬舎文庫版です)
もしかしたら誰かに貸しっぱなしで
そのまま忘れてしまっているのかもしれません。

6月頃に新装完全版が三輪舎から出るそうなので、
このままそちらを蔵書にする事になりそうです。

という訳で読み返せていないので
細かい説明ができないのですが
どうして人に勧めてきたか、という理由は
割と明確に覚えています。

単純に読み物としてとても面白い、
ぐいぐい引き込んで読ませる書き手でありながら、
作者があくまで外部の人間としての自覚と
相手への尊重を、ザックリしているようでいて
とても微妙なバランスでしっかりと保っている事。

ジャーナリストやライターと聞くと
ちょっと身構えてしまうのですが、
それは、テーマの当事者ありきの仕事なのに
書き物をあくまで「書き手のもの」だけとして
その当事者に与えてしまう良きにしろ悪しきにしろ
影響力をあまりにも軽視(あるいは無視)している
そういった例を見たり聞いたりした経験があるからです。

特にバウルなどのように、
インドなどアジア圏の、外から見ると
謎めいていて、秘境や秘教らしい
エキゾチックらしい人々は
たびたび、外からの一方的なイメージの押し付けや曲解、
そしてともすれば文化の生み出す
経済的価値の搾取に晒されてきました。

(動画はわが師匠パルバティ・バウルの師匠、ショナトン・ダス・バウル)

それは、書く人々というよりは
現在の世の中全体の姿勢であるのだと思われます。

完全な余談ながら、このブログも
そもそもはそういった姿勢を
それなりに勉強して理解して更に利用しつつ
覆していくような事がしたい…と始めたものですが
この頃はすっかり適当に
好きに書くようになって来てしまいました。

閑話休題。

たぶん、同じライターから見た時には
本書にも、私が気づかない「しかけ」が
色々と見えるのかとは思いますが

バウルの道を歩む実践者のはしくれである私が読んだ時に
(3、4年前の当時は今にもましてヒヨコ行者だったとはいえ)
この本は、とても誠実に感じられました。

それでいながら、バウルのみならず
ベンガルやインドに深く関わり
愛情を持つ人にありがちな、
おそらく普通の人には敬遠されてしまう
昂った感情ゆえの過剰なノスタルジー…
などとは無縁で

全く外部から臨んでいく一種のミーハーさゆえに
私はこれを、バウルの事を全く知らない友人たちに
「ぜひ読んで」と勧めてきました。

今、バウルを学ぶようになってから
七年経った私が読んだらどう感じるのか
分からないところではありますが、
ひとつの入り口として、
やっぱり人に勧め続ける本である事は
間違いないのではないかと思います。

こ難しい事ばかり書いてしまいましたが
この本を読んでいる時に感じたワクワク感
今も覚えています。
本が手元に無いゆえに、
具体的な場面や引用が挙げられないのがトホホですが。

私がどれほど歌ったり踊ったり、
バウルについて語ってみても
少なくとも今の私の力では
バウルの魅力や奥深さは
この日本で中々伝わっていきません。

この本がどれほど読まれ、
こうして版を重ねている事を見ると
この本によってバウルについて知り
何かしら感じる人が静かに増えている事が
そしてその本が、
あまりの見当違いや色眼鏡で塗りつぶすので無く
誠実な仕事であるという事が
奇跡のように嬉しく感じられるのです。

佐々木美佳監督の映画
タゴール・ソングス」の劇場公開も
ようやく開始となりますが
タゴールの話も少しだけ出てくる本書
あわせてお読みになるのも
面白いのではないかと思います。

バウルに関する本、
比較的読みやすい学術書もありますので
少しずつ紹介していければと思います。

 

※<追記>※

新装発売された完全版を読んだので、少し追記を。
発売日だったのか、まだ荷台に乗っているのを
店員さんに出していただいてしまいました。
取扱書店一覧

久々に再読して、感じたのは
私がこの本を勧めたい理由のひとつは、
著者がある種の消費的感覚から、
そうではないものへとひらかれ、移行していくのが
そしてその狭間でどこか揺れ続けるのが
つぶさに描かれているからだな、と思いました。

私たちは現代社会において、
それが誰が、どれほどの年月を経て
作り出したり、伝え続けたりしたものであれ
「自分に役立つもの」「面白がらせてくれるもの」としてピックアップし
消費することが当たり前になっています。

ヨガや仏教についてもその側面があるように思います。
誤解の無いように書きますが、
それを「悪いもの」として糾弾したいわけではありません。

ただ、私たちはあまりにもそのことに無自覚です。
今は、良くも悪くも
消費という要素を巻き込まないことには何事も成り立ちませんし、
私がこのようにブログを書いている事自体、
自らをホラ消費してくれとまな板にデーンと放り出すような行為ですし、
題材として取り上げている事柄をも
消費のまな板に放り投げてしまいかねないものであり
それなりに気を遣って活動してはいますが
それは俗世にある限り避けられない時代性というものだと思います。

著者は、赤裸々なほどに
自らの当初持っていた先進国の人間としての
(それゆえの様々な繊細な鬱屈さやあっけらかんさを含めて)
消費者としてのまなざしを描いています。

そのオープンさが魅力でもあり、
本全体の風通しの良さの理由でもあるように思われます。

そしてそれが、旅が進むにしたがって、
急に剥がされたり、また覆われて、
そして玉ねぎの皮のように少しずつ剥いて行ったり、
そしてまた覆われたり…ということを繰り返します。

それは、形は違えど、私も通り過ぎて
今も行き来している過程です。

ついでに言えば、ここまで赤裸々には
たぶん書けませんし、覚えてすらいない気がします…
物語を語る記憶力には欠けている人間で。

その誠実さとリアリティ、そして謙虚さがあるから
私は安心して人に勧められるし
珠玉のノンフィクション・ドキュメンタリーなのでしょう。

実は、解説もどうなるかと、まことに部外者の勝手も勝手ながら
心配していたところがあったのですが
(どうしても私はこの伝統に連なる者であるから、
その責任として、解説しだいでも、
人には勧められなくなってしまうかもしれないから)
ただの杞憂でした。

今の私が再読していちばん心に残ったのは、
ドゥ・ロブ・シャーの場面でした。
これはもう、行者だから、仕方がないですね。
ページの向こうから、この熟練の行者が
語りかけてくるように感じました。
以前に読んだ時は、ただ普通に読み流していたと思います。
そんなところに自分の成長を見ました。

それはともかく、コデックス装という
180度に開いて読める本が
これほど気持ちのよいものだとは思いませんでした。
時折覗く彩りのよい糸も。

豊富な写真の嬉しさ。
それでも、写真集としてはたぶん手に取らなかったと思います。
(写真そのものの云々ではなく、私がそういう人間だから)
本のあり方のひとつの提言にもなっているような気がします。

こうした形で、文章と写真セットの本として
手に取れたことを、本当に感謝します。

■読み応えある完全版の制作手帖

ただ、一つだけ。
説明やキャッチコピーに使われている
「バウルの謎と本質に迫」る、という文句は
つまり宣伝や訴える事とはそういう事だと
分かっていても、多少違和感があります。
と、これも一つの記録として、記しておきます。

 


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