🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

彫る行為、私の作品の価値(12月14日〜18日個展)

11/28

もう、だいぶ落ち着いてきましたが
少し前は、木を彫り続けていて
右腕がもの凄く凝っていました。

人差し指の先がピリピリして。

まだ、彫るという行為に
身体自体が慣れていなくて、
右腕全体が凝って、
何なら神経への負担で
頭痛がすることもありましたし
もっと行くと、目にまで何かキていた。

でも木彫にしかない何かがあって、
これに私はすごく可能性を感じています。

今はレリーフを
集中して作っているのですが、
像のときでも、
彫って、形が浮かび上がって、
そこに色を入れるとき、
筆でそっと乗せるとき、

あ、このために画を描いていたのかな、
このために生きてきたのかな、
という気持ちになります。

これを書きながら思い出したけど、
私の木彫のイメージって、
手塚治虫の火の鳥に出てきた
仏師な気がする。
木の中に見える仏像を彫り出していた……ような……?

(捏造だったらすみません。
小学生のときの記憶だから……)

世の中でアートとされるもの、
評価される洗練さ
みたいなものが、
客観的には、ある程度分かるのですが

感覚的には、正直、全然わからなくて
でも、その中にもごくたまに
私の感性が共振するものがある。

木彫の先生は、能面師でいらして
結局、私は能面は教わっていないわけですが

偶然、ただ近所だというだけで
見つけた教室だったけど、
この先生に教わっていて
本当に良かったな、と、
最近しみじみと実感しています。

技術があるから良いとは、
私は、どうしてもなれないから。

先生に関しては、
「たまたま」で出会うことが多いです。

師匠(パルバティ・バウル)のことも
ケーララの、同じ地域に
住んでいなかったら知らなかったし

画の松本一先生も、
地元の子どもを教える画塾
ということで通い出しました。

先生の運は本当にあるの。

私の作品の価値というもの、
他の人の作品とは違うところ、
というものが、
最近は前よりも、
分かってきた気がします。

私は、自分の作品を
ただそれだけで愛してきたけど

相対的には、やっぱり
「違う」ということを、
良いものとは、どこか
どうしても思えていませんでした。
少なくとも、評価されるものだとは。

歌声と同じで、
それらしいものではない
(「なんかアートっぽい」ものではない)
ということを、
ずっと引け目に感じていて

……いたんだな~~~~~
と、今になって、自覚しています。

今回、2~3~5年前の作品なども
ガッツリ出すことにしたことも
大きいかな。

それぐらい時間が空くと、
自分に近い別人の作品
みたいになってくるので

そもそものポイントが
いわゆる「アート」とは
違うんだな、ということが
けっこう冷静に見えてきて。

木彫というのも、
最初からちょっと、
自分との癒着具合が少ない。

中学生の頃の画を、
全然敵わないな~と
思ってしまうのと一緒で
(実際、その頃の方が
レベル高いなと今でも思うけど)。

7~8年前までいくと、
画としてはリハビリ期なので
やっぱり、弱いな、
と素直に思うんだけど

ここ5年弱ぐらいのものは、
なんだ、良かったんじゃん、
とちょっと拍子抜けしています。

少なくとも、今も
大事にしているものはね。

ちゃんと振り返ってみると、
作品が評価されないということに
私は緩やかに絶望していたんですね。

私にとっては、とても大事なものだから。

でも、大事なものは、
まず自分が、
本当に大事にしないといけない。

ほとんど色が写っていないので、個展会場で撮り直せたら差し替えます〜……

12/12

むかーし、宮大工に
憧れていたことがあって

今、その伏線を回収している
ような気がしなくもありません。

木を彫るのが楽しいし、
相変わらず昼と夜となく
掘り始めるが最後、
時間が溶けています。

そこに彩色するのがまた
すごく生きているという感じがする。

これを基本にする生活が、
稽古と翻訳との併用(?)も
意外といいのかもしれない、
と思っているところでもあります。

木彫、
細かいところにかける時間が
どんどん増えている
というのも、面白いというか

速くなっていると思いきや
こだわるところが増えて
むしろかかる時間は増えていく
(そして以前の作品にも手を入れ始める)
(彩色までしたのを直して
色も入れ直したりしています……)。

この感じは本当に、
この細やかさというか、目が
翻訳や演奏にも、まーじーでー
反映されていっています。
だから余計にやめられない。

個展準備のために昼と夜となく
しっちゃかめっちゃかな生活を送り
明けた今朝(しかし集荷が手違いで来ない)
少し久々にまともにエクタラ(一絃琴)でうたったら
耳(と思しき五感)の受け取る情報量が
全然違ってびっくりしました。
聴こえるものが違うと、声の据わり方も変わります、
たぶんね。

松久宗琳の仏画や仏像が好きで
たまに写真集を捲るのですが


仏像仏画全般が好きというわけでもなく

あとドイツのリーメンシュナイダー
もいいですよね。
円空も当然の如く好きだし(仕方ないですよね)。

今教わっている木彫の先生(能面師)の
センスはとても好きで
迷いなく純粋に尊敬できるので
本当に幸運でした。

画を描きながら、
何か「物」を……
ただ平面のイメージというだけではない
生活の一部になるような「物」を
作りたい、という欲求が
展示を始めたときからあって

だけどどうしたらいいか
分からなかったのですが
(色紙に描くようになったのは、
そのひとつの反映だったかも
とは思います)

レリーフや、彫像は
それをもう本当に理想的に
解決してくれているというか

求めていたものに、やっと
辿り着けたなという思いです。

そしてたどり着くためには
バウルを通した、祈りの感性の育ちが
やっぱり欠かせなかったと思います。

今、私は作品を
ひとつのアンカーとして作っています。
(アンカー=錨、いかり)

見ることで思い出せる、回帰できる、
喚起されるものがあるように。
濁った水のように舞い散っていた砂が
少しでも静かに落ち着いていくように。

他の方の作品で好きなのも、そういった作品です。
棟方志功が好きで好きで仕方ないのも、そうだし。

何か伝統に属することで
その仕事を見出せたら、もう少し
楽だったのかもしれない
と思うけど

少し違う道を行きます。
でもバウルの道としては
傍目からは違ったとしても
正道を歩いているのだと
そのようにありたいと、少なくとも
誠実に願うものです。

と同時に、人という形
へのこだわりに、
改めて取り組むときかな
とも考えたりしています。

はあ、しかし、
思っていたよりも3、4日
溶けていたようで、
予定していた作品のうち
画が一枚、彫像一体、レリーフ一枚
は、間に合わず
像とレリーフは会場で彫っている
ことになりそうです。

詳細
【パロミタ友美、画と彫刻の個展】
◆12月14日(水)〜18日(日)
12時〜19時
会場:池ノ上(下北沢)ギャラリーDeepdan

期間中毎日15時〜ギャラリートーク・ライブをします。
土曜日のみ18時の回も予定しています。
これはインスタライブで流しますので
よろしければご覧ください。
投げ銭システムも何か設けるつもりです。

ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)

今日も明日も良い日でありますように。

パロミタ

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