🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

天竺画の世界

「日本的色彩で
インドの宇宙観が表現されている」

日本とインドを行き来して、
バウルという、歌舞いを修行の手段とする行者の元で
修行をしながら、画を描いています。

懐かしさのふるさと

インドに行っている人の画、と言うと
極彩色とか、コントラストの強い派手な色合いだとか、
細密画的なテイストだとか、
そういったものを想像されるようです。

私にとってインドという土地は、
直接には覚えの無いはずの懐かしさ
失われてしまったもの、失われていくもの
それでも続いていく、繋がっていくものへの郷愁
を湧き立たせるものです。

日本の古代への憧憬が、
そのままインドでの生活に
繋がっているようなところがあります。

常に自問しながら続けてきた
インドと日本を行き来して
生活しながらの修行は

内面に深く潜っていけば
いつも広がっている豊かな庭
を、発掘し、思い出していく過程でもあります。

天竺画とは

神話という表象の必然と力強さ
紋様の持つ力
自然界のあらゆるものへの感動と憧憬
修行の過程の内観で体験される事

この全てが合わさって、
現在の私の画になっています。

天竺画と名付けた当初は
こっぱずかしかったものですが
今は、ひどく納得しています。

なぜなら、私の画は
日本画や油絵ではもちろん無く
かといって水彩画と呼ぶにも違和感が残り
形容しにくいものだったのが
「天竺画」だとすると、
ひどくピッタリ来るのです。

画を描く事は、物心つかない頃から
自然な事でした。

あまりにも自然すぎて、
一度離れてしまってから、
数年して再び絵筆を取るようになり
それから描く意味に確信を持てるようになるまで
ずいぶん遠回りしてしまった気がします。

何年も描かないうちに、
描く腕がずいぶん落ちてしまった事もあり
私の中には確かに「描く理由」が存在するのに
外の世界には証明できないようで
数年は何が何だか混乱していました。

修行という生き方の一環として
生きる上での自然な表現として、
描くという行為の有機性が腑に落ちて
私はやっと画を取り戻したのです。

その頃から、画の密度もぎゅっと増し
私にとっての、画という存在の質が
それまでとはずっと変わってきました。

「天竺画」と名づけた事

そんな新しい私の画を「天竺画」と名づけたのは
ひとつには、私が「インドの人」であるという事を
受け入れる事にした過程があります。

「インドの人」である事に付随する
様々なイメージを避けたくて
色々と奮闘していたところがあるのですが

私からインドは切り離せないし
私が語りたい事・共有したい事の多くは
インドと密接に結びついているので
そこは諦めて開き直ろう、という境地に
ようやく至りました。

とはいえ、
「天竺」と言うと、「昔のインド」と
思われているかもしれませんが、

元々は「仏教の祖国」であり
人々のイマジネーションの中の天竺は
もっと広い括りの異国、
中国のその先の、
ふしぎに溢れた豊かな土地、
というようなものでした。

「天竺=インド」という理解ができたのは
ここ100年ぐらいの事のようで、
それまでは、たとえばタイだとか
時にはポルトガルなども、
天竺の一部と思われた事がありました。

仏教の祖国という意味では、
ニライカナイのような楽園であり
また、日本を仏教の花開いた土地と見るなら
仏教が大成しなかった未開の地
という、多重な意味やイメージを付与された
言葉でした。

天竺画と言う時、
そういう曖昧で、古い方の「天竺」
念頭に置いています。

内観を通した自分自身の体験を画にしていく時、
自然と神話的なモチーフの形を取る事がありますが
インドに深く関わり、根ざし
インスピレーションの多くをいただきながら
現実のインドという枠内には必ずしも縛られない

「日本的色彩で
インドの宇宙観が表現されている」

と評された私の画には、
似合いの名前だと思っています。

 

そんな天竺画の展示は
2020年4月26日〜5月2日に、銀座で予定されています。
現在、オンラインギャラリー開催中です。