わたしの歌のどこが、何が
こんなに違うのだろう
ということを、
レコーディング以来ずっと
考えています。
わたしは「随筆集」という題で
本を一冊作ったけれど
わたしの文章は、世の「随筆」
とは、やっぱり違う気がする。
良くも悪くも
違うから、定型に嵌められず
自信を持って提示できない
一方で
違うから、
とても特定の人や層に
必要とされるのだ
という感覚があって
でも、その人たちが
どこにいるのか、
わたしは知らない
その人たちに届くためには
まずは広く知られるしか
他に無いのではないだろうか、
という気もする。
でも、できたらダイレクトに
届いたら、見つけてもらえたら
いいのに、と思う。
とはいえ、全国の書店に
自分の名前の載った本が並んでも、
大して知られるようになるわけでもない。
ちょうどいい、
知られている と
知られていない の、間をいきたい。
レコーディング、マスタリングという
他人の手を介したことで
わたしの歌を、わたし自身
もうただの自分の一部として
卑下することが
できなくなってしまいました。
人と話していて
「レコード会社の目に留まるとか?」
と言われて、違う、
それはそういうことじゃないんだ
と明確に思いもしました。
音楽としての完成度も
そりゃ、あるに越したことは無いけど
でも、目指すところ
ということでもない。
この歌たちを、
どう表現したら良いんだろう。
*
このところ、
歌が、どんどん深く、豊かになっていて
たぶん気のせいではないと思うので
外からの学びを
削るタイミングなのかもしれない、
と、考えています。
バウルに、より集注して
もっともっと、歌の中に
行きたい、というよりも
行かなければいけない、
という気がする。
以前は、正直
歌っているよりも
ただ坐っている方が
「入って」いけたけど
最近は、歌っている方が
より確実に、「入って」いけている
気がします。
*
※
ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)
今日も明日も良い日でありますように。
パロミタ
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