🌕5/7(木)おまもり歌[日本語曲]@東京🌕


🟡5月7日(木)18:30開場 19:00 開演

おまもり歌 弾き語り 歌舞いライブ

日本語のオリジナル曲

@ムリウイ(東京・祖師ヶ谷大蔵)

2500円+1ドリンク

予約連絡先 tomomi.paromita@gmail.com

言葉を魔法にしたい

詩のことばは
わたしにとっては、呪文で

内容がどれほど完璧に
まとまっていても
そこに詩心が無ければ
わたしは動かされてくれない

ただ、どんな呪文がきくのかは
きっと個人差があって

わたしには詩に見えない
詩情なんて呼ぶことができない
あれやそれも、
誰かには響く魔法があるのでしょう。

それでも自分が扱っているものが
本物であると
これは、信じていくことしか
できないのだろうな。

「わたしは、知っている」という
ただ知っている、という感覚と

「何も分かっていないのかもしれない」
という畏れ

両方持っていた方がいいし
両方持っていた方が
力になる、と思っています。

わたしは正しくありたいのかもしれない、
というようなことを
割と最近に書いたような気がするのですが
一年ぐらい前かもしれません

まわりを見渡すと、
自分の正しさにとらわれて
足を引っ張られているように
見える人ばかりです。

(と、これは2週間ぐらい前に
書いたのですが、
直近ではそうでもないです。
たぶん、このあとに書いた変化の
結果として)

でも、それぐらい頑固なこだわりがあるから
何かしら成し遂げていたり
苦しんでいても愛おしい人々
であったりもします。

わたし自身がきっとそういう人間なので
どうしてもそういう人の方が好きだったり
縁があったりしがちなのでしょう。

信じたいものを信じ続ける強さと
信じたいものを信じ続ける弱さの
境目は形容しがたく

実際、すぐに
どちらにも転ぶものなのだろうな
それはただ普通のことなのだろうな
と思います。

とはいえ、なんか、
他の人のことはもう
本当になんでもいいかな~と
思うようになってきた
この頃でもあります。

でも、わたしのことだけ
気にしていたとしても
「こうありたいわたし」という
「間違っていない自分」に
なれない

というところで落ち込んだり
静かに内心パニックになったり
するわけですが

それで、気にするべきは自分でも他人でもなく
正しさ
という虚構の完璧さなのではないか
と、当たり前のようですが
先日ぼんやり思いました。

「これこれこういう人とは
距離を取りましょう」
なんて言葉を、街中でさえ
よく見かけるようになりましたが

そんなこと言ったら、
たぶんごまかしているだけで
どこか歪んでいて
間違いだらけで
だけど心根は綺麗な人ばっかりよ、
とも思ったりもするのです。

善悪の基準次第で
良い人だって優しい人だって
誰かにとっての危害を行なうし

わたしも、自分の
性根が悪い
と思うほどに自己卑下はできませんが

でも、どうしても直らない不器用さは
優しさや思いやりなどの
善性の基準に照らし合わせると、
及第点に及ばないのではないかなと思ったりします。

他の多くの人に比べると
わたしはばっさり
気にかける人とそうでない人を
自然と分けている気がするので

みんな平等に
誰のことも差別せず……なんて
口が裂けても言えないのですが

もう一段階、
「正しさ」から自由になれたら
見える景色がある気がしています。

「宗教とかではなく」
というのはこの頃、
日本語で割によく聞く表現で

そのあとには色々な単語や形容が
続くわけですが

宗教ではなくスピリチュアル、
という言葉は、

20年近く前に
わたしがまだオーストラリアで
大学生をしていた頃

神秘主義学の講義を
教えていた若き天才博士が

「いまのトレンドで
“自分は宗教的ではないけど
スピリチュアルだ”
と言うというのがありますけど、
どうしてでしょうね?」

と言っていたことが
思い出されます。

(付随して思い出したけど
この授業のレポートで
白隠禅師について書いたのでした。

あと関係ないけど、
彼女の英語はどこ訛りか、
が生徒間で話題になりました。
ニュージーランドでした)

そもそも宗教の定義が
問題になるわけで

「宗教」を嫌う心理にも
組織性や権威性、政治性であったり
妄信性であったり
それぞれ見方が混在している
かと思います。

そもそもの本旨としては
宗教は、スピリチュアリティどころか
文化 ともさして変わらない気がする
のですが、

それだけを主張するには
歴史的にも、現代社会にも
色々ありすぎます。

とは言え、

スピリチュアルというものが
魂や霊性の探求であるなら
それは「道にある」
と言ってさしつかえないと
思うのですが

霊性に限らずとも
道にあるということは
何らかの権威性を受け入れる
ということであると
わたしには思われるので

(自らを差し出さずに
ものになる「道」なんてあるのかどうか?)

その側面を受け入れず(自覚せず)して
そもそもスピリチュアリティは
成り立つのか、と感じ

そしてそうであるなら、
宗教を忌避して
スピリチュアルのみを自負するのは
本当に向き合っているのだろうか

と、思ってしまったり
するわけです。

今日は、
アトピーが本格化する前に
書きつけてあったメモの
寄せ集めです。

いま、色々な状況や価値観が
ぐわんぐわん変容しているのを
感じていて

あー、だからアトピーなのかなー
という感じではありますが
来週にはもう少し
すっきりしていたいものです。

ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)

今日も明日も良い日でありますように。

パロミタ

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