数年前は、この先
本が読めなくなっていくのかな
という感覚があったけど、
今またいい感じに読めるようになっていて、
何かを消化した感があります。
でも、そのもっと前と今の
文字との付き合い方は全然違って
呼吸の読み方と、冷たい読み方
の使い分けができるようになったかも
しれません。
これはやっぱり、
100万字ぐらい翻訳したから? かしら。
翻訳というのは、
特に書籍用の、
何度も何度も推敲するような翻訳は
尋常でなく原文を読み込むし
またわたしの翻訳スタイルは
よくわたしは憑依的と言ったりするのですが
自分の中に丸ごと降ろして、
それを生のまま別の言語に紡ぎ出していくというか
本当に呼吸を重ねるような行ないで
そして私がそうして訳してきたものは
例外なく素晴らしい、一級の文章だったので
そこで、なんだろう
もしかしたら師に就いて学ぶような
独特の鍛えられ方をした気がします。
同時にわたしはずっと、
呼吸の行に取り組んできて
歌に取り組んできたということはもちろん
呼吸と言葉のかかわりを常に
意識的に実践してきたということです。
息への取り組みと言葉への取り組み、
身体の取り組みが
わたしにとっては常に同時にあって、
それがいい感じに落ち着いてきたというか
統合されてきたというか、
矛盾しなくなってきた
ということでもあるかもしれません。
こんなことを言うと
当たり前と思われるかもしれないけれども、
真に腑に落ちるには
一人ひとり取り組む他にない、
このわたしという個の先達はいないので
みんな、少しずつ重なりながら
やっぱり少しずつ違う発現の仕方を
するのでしょう。
多言語性というのは
わたしの特徴ではあるのかなと思います。
言葉が本当に豊かな人で
身体性に潜る人は少ないし
(少ない=いる、です)、
身体性に深く分け入る人は
言葉がナマでも粗かったり、
あるいは単言語の深掘りであることの方が
多いように思われます。
自分が実際にどんな位置にいるかは
偉そうに言えませんが
でもわたしが今いる、
この時点でなしえたものが
わたしは好きです。
*
このところ、
『9つの人生』を通して
わたしの名前を認識してくださっている
方々と出会うことが続いて
また、尊敬する方が
わたしの文章に、存外の信頼を
置いてくださっていることが分かったり
あの本がわたしに
もたらしてくれたものの大きさを
実感しています。
ます。
※
ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)
今日も明日も良い日でありますように。
パロミタ
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