詩人・歌舞い・木彫画・バウル行

パロミタ友美

 

日本、インド、オーストラリア
と住んできて、
どこも地獄には違いないと知りました。

どこの国にも、差別も地獄もある。
どこでも自分はマイノリティでも
マジョリティでもあり
被害者にも加害者にもなりうる。

結局のところ、
自分自身を天国とするしかない。

そうして初めて、世界は
本当の美しさを見せてくれる。

この身体の中に全てがあ

「生きたい」と思えることに
納得することが、
私の課題でした。

 

自信を持つほどに、
謙虚になれる

世界に向き合うことは、
私を知ること

私の形が分かって
初めて自由になれる
初めて、本当に愛せる

私の形が視えると
初めて、世界がそのままに
姿を現す

 

とても知られたバウルのうたで
「見知らぬ鳥」と訳される詩があります。
私はこう訳します。

籠の中には鳥がいて
だけど私は見たことが無い、
会ったことが無い
いったいいつ、出入りしているの?

もしも、捕まえることができたら
その足に
この心の枷を付けるのに

ラロン・ファキールのうたより抜粋訳

籠は私たちのこの身体。

いえ、自分のいる層によって
いく通りもの解釈ができる
(修行する人の進度によって
理解のレベルも変わるのです)

そこにあるのは知っているのに
見たことが無い、知ることができない
その鳥は、何だと思いますか?

私のことを、私は知っているかしら。

下の動画はそのうたを
歌っています。

 

 

普通というものに憧れながら憎んでいた頃、
思えばその幼い頃から
私ではないものばかり見ていたのに
私は私にしかなれないことに
絶望していました。

絶望しながら、誇りに思っていた。

オーストラリア、日本、インド
と住んできて、
どの国も、地獄でも天国でもある
ことが腑に落ちるようになりました。

生きることはとにかく疲労困憊するもので
生まれてきたことに納得がいっていなくて

だから半端なことに
エネルギーを割けなかったので、
心が本当に求めることばかり
縁の導くままにやってきたけど

体験の豊かさと同じぐらい
とにかく、疲れ切っていました。

 

今思うのは、
外を観察するのと同じぐらい
私は、私を見つめないといけなかった。

声を発して、
歌おうとするのと同じぐらい
私自身の声に耳を澄まさないといけなかった。

今、うたうことと聴くことが
重なり合うようになって来たのは

やっと、おためごかしではなく
私自身を観察できるように
なってきたからで

この肉体の中に囚われたまま
放置してきた様々な感情を
生きて、向き合って
成仏させられるようになってきたから
だと思います。

 

私はずっと、
安心を求めているのかと
思ってきたのですが

疲れきっていた私が
思っていたような「安心」とは
違うらしいと、今は思っていて

ひとつの要素ではあって
常に崖っぷちで揺れている人間にとっては
それが一番の印象となって
残るかもしれないけれども。

だけど、その崖の形や
大地の振動を
細かく形取れるような
足元の繊細さと
手先や手のひらの自由さ
反動に支配されない体内の柔らかさ
を突き詰めれば

崖も、揺れも
恐れるものにはならない

というところの方が、
私の存在のテーマとしては
核心に近づいていくのかな

と、今は思うものです。

つまり、強さというもの。

 

 

インド・ベンガルでバウルを
学ぶようになって10年経ち、
ずっとインドの言葉で
うたってきたのですが、

昨年2022年から
ふいに、私自身のうたが
形をとるようになって

最初は、それを人前で
歌うべきなのか、
バウルの軽視と取られないか
迷うところもあったのですが

私自身の体験から生じてきた
日本語のうたでしか
出会うことのできない人が
いると思うようになりました。

ベンガル語のバウルのうたは
正直実際、ベンガル人の
修行を積んだ熟練のバウルが
うたうものを
聴いてほしいとも思うし

ベンガル語のバウルのうたは
もはや欠くことのできない
私の一部ではあるけれど

日本語でも、うたっていくことを
することにしました。

何より、バウルは元々
即興で歌われることも多かったと
聞いていますし

行者が、修行の体験を
うたにすることは
本来的にはバウルの伝統の一部です。

私にその資格があるかは、
今も分からないけれども
きっと必要とする人がいると信じて

今、私は日本語でも
うたっています。

 

 

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*編集中*

 

 

 

 

 

プロフィール

パロミタ友美

バウル行者(弟子)、翻訳者、詩人、画描き。
2013年よりパルバティ・バウルに師事。
オーストラリア国立大学でサンスクリット語と言語学を学び、「詩を歌う」文化への興味からインドの歌文化に惹かれる。
ケーララ州で日本語講師をしながら南インド古典声楽を手習いしていたときに、縁あってパルバティ・バウルに出会い、のちにバウルの道に入る。
2018年、パルバティ・バウル来日公演ツアー「バウルの響き」を有志の仲間と共に主催、のべ1000人余りを動員する。

幼い頃から日本の古代に、十代から武術や身体文化に興味があり、現在も日本では舞などを学びバウル行の糧としている。
日英バイリンガルで、ベンガル語、マラヤーラム語、サンスクリット語はちょっと分かる。
訳書にウィリアム・ダルリンプル著『9つの人生:現代インドの聖なるものを求めて』(集英社新書)、パルバティ・バウル著『大いなる魂のうた:インド遊行の吟遊詩人バウルの世界』(バウルの響き制作実行委員会)

風響舎主宰。

 

 

 

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