🟡 3/29(金)『女たちの音づれの夕べ~パロミタ友美・佐藤二葉の二人会』 🟡

プラーナは「気」と同じなのか

ヨーガなどをやると
まず必ず出てくるのが、
プラーナ」という言葉、コンセプト。

このプラーナ、
いわゆる「気」と同じなのでしょうか。

私もあまり
偉そうな事を言える
立場にはありませんが、

何となく引っかかって
「??????」となっている
方もいらっしゃいそうなので
少し大まかな話を
してみようと思います。

単語

ちなみに、まずこの言葉ですが
アルファベットで書くと
Praana
で、

聖典の一種のプラーナは
Puraana

……違いが、分かったでしょうか。
Pの後にuが入るかどうかが違います
nも何種類かありますが、
この二つの単語のnは、同じnです。
(巻き舌系のn)

Puraanaの方は、
「古い」という意味があり、
聖典の一種の方のプラーナは、
おそらく「過去の話」
というような意味から
来ているものと思われます。

ちなみに、プールナ
Poornaも、
似たような音から
構成されていますが

これは「満ちる」というような
意味になります。
満月の日
〜サンプールナという名前が
よく付けられていますが、
このプールナですね。

音素がほぼ同じなので、
言霊や語源的には、
共通したものもあるかと
思いますが、

とりあえず違う言葉なので
違いは認識しておくと
よいかもしれませんね。

定義的にはほぼ同じ?

以前出た事のある
南インド伝統医学の講座で
インド医学でも、東洋医学でも
定義の上では、ほぼ同じ
という事が言われていました。

その講座の内容を
ここで紹介してしまう事は、
おそらくマナー違反なので
しません。

伊藤武先生は
図説ヨーガ大全」で、

 脈管のなかを血液が、神経情報が、リンパ液が、その他もろもろの体液が流れている。それはわかる。では、<流れ>をつくりだしているおおもとは何か?

(p266-267)

その答えがプラーナだ、
という表現をされています。

漢訳典籍では、プラーナは
と訳される事が多いそうです。

確かに、バウルのうたでも
プラーナ風や鳥などで
表現される事があります。

ただ、「気」も
私の知っている限りでは、
「風」的な要素があります。

でも、おそらく
私の聞き齧っている「気」は
武術系の感性をベースにした「気」なので
中医学などでどうかは、分かりません。
(ちょっと調べましたが、
匙を投げました……
気軽に書き始めるべきでは無かった)

 ともあれ、プラーナは宇宙創造の根源的なエネルギーであり、地上にあっては、まず大気の流れである風として表現され、そのダイナミズムは呼吸その他を通して人体へ取り入れられ、脈管の中の<流れ>をつくりだす推進力となる。
 そうして、かの古代インド人たちは、
「われわれは、このプラーナを通して、すべてのものともつながっている」
 と見なし、その焦点となるのが、
「いくつもの脈管が交錯し叢をなしている“マルマ”である」
 というアイデアを手に入れたのだ。
…(中略)…
 また、マルマの考えには、中国のツボと多くの共通性がみられる。
 しかし、「プラーナの座である」と定義されるマルマのはたらきは、体内情報の処理だけにとどまらない。精神や霊魂、さらにプラーナを通してわれわれと結ばれているすべてのものごとーー大げさに言えば、全宇宙と関わってくる。

(p267)

……ここまで読んでも、
個人的には、これが
「気」に当てはまらない
とは、私には言えません

ツボだって、一般的に
捉えられているよりは
よほど広域に
(つまり、ただ単純な肉の話ではなく)
はたらきます。

やはり、定義的には、
ほぼ同じ、という事に
なるのでは、
という気がしています。

プラーナ」と
」あるいは
大和語的な「いき」も
大同小異に、ほぼほぼ
重なるものなのではないか
と、個人的には思っています。

文化的な言葉として

とはいえ、異なる文化圏
異なる背景で育ち、
今も使われている概念なので
全く同じとは言えない訳で

たとえば「〜な気がする
気になる
みたいな用い方
プラーナではできない訳です。

プラーナは、たとえば
タゴールの詩などだと、
「心」と訳されているのも
見た事があります。
(映画「タゴール・ソングス」など)

個人的には、いのちとか
息吹とか、訳す事もあります。

だけどそういった全て
(気や、心など)と
「プラーナ」という言葉が
カバーする範囲は
重なっても同じではない、
という事です。

そこが、やはり単純には
括れないところだと思います。

プラーナーヤーマは呼吸法?

いわゆる「呼吸法」と訳される
プラーナーヤーマ
ざっくり言うと
プラーナの制御」という意味ですが

呼吸法と言っても
呼吸をきっかけとして
はたらきかけるものは
いわゆるところの
「呼吸」に限らないので

厳密に呼吸法と呼べるのか?
と言うと、違うかもしれません。

でも、そもそも日本語の
「呼吸法」だって、
ただ呼吸に
はたらきかけるだけのものか、
というと、そうでは無い
人によっても理解や理解度が違うので

もちろん、プラーナーヤーマも
インド人だって、人によって
理解が違うわけです。

……だんだん何の話を
しているのか、分からなく
なってきましたが

つまり、それだけ微妙な話
(ビミョ〜では無く、
精妙で繊細な方の、微妙です)
だという事です。

私自身、これを書いていて、
やばい、思っていた以上に
「気」「氣」の事を
何にも分かっていないぞ……
と焦ってきたのですが

「プラーナは気のことです」
と気軽に言うには
微妙なところだし、
悩ましいですね。

みんなで勉強と工夫を
続けていきましょう(結論)

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1 個のコメント

  • ありがとうございます。
    ヨガと指圧をフランスで学んでいますが、こちらでプラーナは生命エネルギーと訳され、中医学の気は単純にエネルギーと訳されています。このエネルギーという言葉だけが定義なしに独り歩きして、なんちゃってxxx療法が「日本の伝統的な治療法」を謳いつつはびこっていることに不快感を覚えていました。
    斉藤真紀子

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