宗教を超越した激情のスーフィー詩人カビール

神がモスクにおられるなら、
この世は誰がつくったというのか?
ラーマが巡礼地の神像に留まるなら
その像が無くなればどうなるのか?
ハリは東に、アッラーは西に。
しかし心の中を見つめれば、
そこにカリームもラーマもいるだろう。
男も女も全ては神の現し身。
カビールはアッラーとラーマの息子。
彼が私の師匠、グルでありピールである。

Tagore, Rabindranath; Underhill, Evelyn (1915). One hundred poems of Kabir. University of Toronto.
(ウィキペディアから孫引きで拙訳)

15世紀の詩人カビールの詩は
今なおインド各地でうたわれ、
熱烈に愛されています。

宗教を超越した存在であるカビールは
生前はヒンドゥーからもイスラームからも疎まれ、
死後はどちらも「自分たちの詩人だ」と主張しました。

そんなカビールの紹介です。

カビールの生涯

 

友よ
私は本当の師を見つけた
私の世界はひっくり返った

友よ
私は本当の師を見つけた
その名を歌うこの至福

空のドームに行こう
愛しの暗闇の方が棲む所へ
左と右の川が流れる所
真ん中の川は舞い踊っている

(カビール・プロジェクトによる英訳より抜粋訳)

カビールはイスラームの身分の低い機織りの家に生まれたと言われています。
一方で、元々はナータ派というヒンドゥー神秘主義の系統の
家系だったと言われる事もあり、
生まれ育ちはハッキリとはしていません。

しかしカビールはイスラームの名前であり、
基本的な生まれがイスラームの系統であったとは
思われます。

聖詩人ラーマナンダの一番弟子だったと伝えられていて、
当初弟子入りを断られたカビールは、
ラーマナンダが毎朝夜明け前
ガンジス川に沐浴に行く道で布にくるまり寝そべったそうです。

彼に足が触れてしまったラーマナンダは
いつもそうするように、聖句「ラーマラーマ」
と唱えました。

聖句を唱えて足で触れてしまった事で、
ラーマナンダはカビールを
弟子として受け入れざるを得なくなりました。

宗教を批判し神を愛したカビール

みんな同じ所から来て
同じ道を通った
途中で急に不安になり
たちまち12の道が現れた

誰もが川岸から水を引く
水の無い所から誰が水を引くだろう

カビールの岸辺はどの岸辺でもない
そこから水を引く人は
浄らかになる

私はヒンドゥーかと尋ねれば
違うと言おう
イスラームか? それも違う

どちらも真理を隠している
私はどちらにも遊ぶ

お前はどこから来た?
そしてどこに行くのか?
お前自身の身体に聞け

本当の師を見つければ
秘密を知る事ができる
内側の窓が開くだろう

(カビール・プロジェクトによる英訳より抜粋訳)

カビールはヒンドゥーでありイスラームであった、
と言われる事もありますが、
どちらかと言えばカビールは
どちらの宗教的権威も激しく批判する

敢えて言うならば、無宗教の熱烈な神秘主義者
権威主義や慣習を否定し、
ただ純粋に神と出会う事をうたいました。

彼の詩はシーク教の教典にも取り入れられ、
大きな影響を与えたと言われています。

聖者も色々見て来たが
ヒンドゥーもイスラームも規律と言いながら
ただうまい飯が食いたいだけ。
ヒンドゥーは11日ごとの断食中も栗と牛乳を食べる
穀物は削っても脳みそは削らないで
断食が明ければ肉を食う。
イスラームは毎日祈って年に一度の断食
鶏のように「神よ!神よ!」と鳴く。
暗闇の中で鶏を殺す人が
どんな天国に行けるというのか?

(Linda Hess and Shukdeo Singhの英訳をウィキペディアから孫引きで抜粋・拙訳)

スーフィー(イスラーム神秘主義)の詩では
神を女性にたとえ、美しい女性に恋い焦がれる男性の声として
詩をうたいますが、

インドの神秘主義運動では、
神を男性に、自らを女性として(男性行者も)
詩をうたいます。

カビールは自らを神の花嫁としてうたう点、
インドの伝統の流れにありますが、
その詩にスーフィーの影響がある事は
明らかであると言われます。

広く歌い継がれるカビールの詩

カビールの詩は各地に伝わり、
歌われています。
カビール・パントと呼ばれる
カビールを開祖と仰ぐ一派は北インド一帯に広がり
その多くは低カースト、もしくはカースト外で構成されているそうです。

一方で、現在カビールの詩として伝わっているもののうち
彼の真作はほんの一握りとも言われています。

実際、詩に電車や車が登場する場合もあり
伝承形態の自由さが伺えます。

現在、インド各地の神秘主義歌謡を取材し
記録するカビール・プロジェクト
インド各地で開催される
神秘主義歌謡の祭典カビール・フェスティバルなど
現代で宗教に囚われず本質に迫りたいという人たちにも支持され、
多くの歌手に歌われています。

歴史の中に彼のような存在がいて
その詩が生き生きと伝承されてきたという事は
ともすれば閉塞感のある現代の
インドの人々にとっての希望であるようです。

私の師匠パルバティ・バウルも
カビール・プロジェクトやカビール・フェスティバルに呼ばれ
彼女自身、カビールの詩をいくつか歌う事があります。

その関係で、私もカビール・プロジェクトやフェスティバルの
関係者に知己がありますが
そこに関わる誰もが、現代インドや世界の現状に
葛藤しながら、この6世紀も前の詩人の世界に感じ入り
それを希望として多くの人と共有したいと
活動していました。

私の学ぶ伝統・バウルの視点から見ると
カビールはバウルそのものですが
カビールの視点から見ると
同じ精神がバウルにも見られるという事で

カビールをうたう人、
スーフィーを歌うカウワーリー、
そしてバウルは
互いに非常な尊敬と親しみをもって
関わり合うようです。

参照:(All Retrieved on 12th December 2019)
Kabir by Wikipedia
Kabir by Encyclopedia Britannica

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