バウル関連の本
以前から書くと言って書かずじまいだった、バウルについて日本語で書かれた本のご紹介です。実はけっこうあります。 少し名前が出てくるだけ、とかだともっとありますがここでは比較的手に入りやすくまたひとりの実践者である私から見て…
以前から書くと言って書かずじまいだった、バウルについて日本語で書かれた本のご紹介です。実はけっこうあります。 少し名前が出てくるだけ、とかだともっとありますがここでは比較的手に入りやすくまたひとりの実践者である私から見て…
バクティ、という言葉を訳す時「捧げること」「献身」と訳したりただ「愛」と訳すこともあれば 「供儀信仰」と訳すこともあるのですが 最近になって、バクティには信頼すること、あるいは信じること というのもとても大切な要素なのだ…
ここしばらく内観ばかりしています、と書いたりしているので、少し、その事について記録も兼ねて書いてみます。 私はいつかのバイト先の店長に、「実は誰よりも現実主義者だった(一見した印象に反して)」と言われたり、師匠にもいつだ…
お金については、 かの聖者ラーマクリシュナが 一切触ることを拒否した、と伝えられていますが 現代の生活は、もはや 貨幣経済を無視して成り立つものではなくバウルなどの、元来托鉢者であった者も含め、あらゆる修行者や宗教者も …
「非暴力」について、ここのところ何度か聞かれることがあったので、 少しだけ、私の思うところをまとめてみます。 まずは最初に、 「非暴力は倫理ではない」というところから 始めたいと思います。 非暴力は倫理ではない 根本的に…
Hridayaは英訳するとハートで、 般若心経の「心」の部分ですが、 英語のHeartが心と心臓を兼ねるものだからもうほとんど自動的に、 Hridaya=心=心臓 という理解をしてしまっていたのですが、 ん??? あれ、…
あるところまでいくと、 言霊的な理解が何というか、好き嫌いとか嗜好の問題ではなく 「必要」になるんだなと 痛感しております。 それが無ければ、機微というべきか、本質というべきか、玄妙というべきか、精妙というべきか、 とに…
「おどろおどろしい」「妖しさ」という言葉を、先日の公演の感想で見かけて、驚いたと言うのも変ですが、意外でした。 マーダヴァ、どうか私の、内なる扉へおいでくださいマーダヴァこのいのちの友 あなたの笛の音をどうか甘やかにずっ…
行者は怒りもや悲しみも 人にぶつけず、 すべて「あの方」に捧げる。 よろこびも、悲しみも、 すべての感情を。 これはかなり初期に 師匠に言われた言葉で、 深く印象に残っているものです。 また別の時には、 どんなことも、 …
数年前、急に その日から、世界が優しくなった という事があって、 それから今に至るまで ずっと世界は基本的に 私に優しいように思います。 その事を書きます。 それは、インド国内線で ケーララからコルカタだったかな、 に飛…