苦しいときに、
わたしはまず反射的に
この苦しみの意味は何だろう、
何のために生じているのだろう
ということを
考えてしまうのですが、
飽きるまでただ苦しむ
という方が正解なのだろうな、
と思ってもいます。
それかノータイムで忘れるか。
わたしの場合は
考え続けるという一種の病気なので
客観的に見て、放置するには
苦しみが長引きすぎているのか、
放置していないから
やたらに長引いているのか、
やっぱり結局、考えています。
考えるのが当たり前すぎて
苦しみという認識が
薄いらしいので
この頃は敢えて、
感情の名前を名付けている
というところもあります。
そうこうしているうちに、
ふいに抜けて、
「そもそもなぜ傷んでいるのか?」
となったりするのですが。
誰かの幸せを純粋に願うときが
最も解放されている瞬間だと、
そこにチューニングが
合っているときは
それが分かっているのに
こう、電波障害みたいなときも
多いです。
ところで少し前の会話で
バウルには、
神さまをなじるような歌が
けっこうあるのですが
「こんなに苦しんで
あなたを求めているのに
どうして救ってくれないの」
というような詩ですね
ヨーロッパにはあまり無いかも、
と聞きました。
(旧約聖書の世界観なら
ありそうな気もするけど
新約聖書だと確かに無さそうかも)
わたしにとって、
こういったなじりングな歌は
そもそもの神さまであったり
世界であったりへの
信頼が無いと
できないことなので
当時誰かや何かに
期待する
という習慣が無かったわたしには
バウルの道へ入っていく
きっかけになったもの
でもありました。
相手をなじることができるほどに
信頼する、という
そういう感情や体験を
逆に言えば、不満や悲嘆を
ごまかさずに伝える、
ということを
(人間にではない存在に、
というところがここでは肝です)
歌を通してやりきる、という
そういう側面は
行の歌として、あると思っています。
そんなことを物思いしていて
少し前に、書いたけど
あまりに後ろ向きなので
お蔵入りにしようと思っていた歌を
引っ張り出してきました。
こういう詩です。
***
もう望みたくないの
望むばかりで疲れてしまった
かみさまはどうして
こんな風にわたしを作ったの
何も望みたくないのに
望まなくては何もくれない
望んだ途端にそれはくれない
ならばどうして
春の日が恋しくて
手を伸ばしてもただ冷たい
冬を越しなと言うばかり
ならばどうして
花の香に酔い痴れても
透き通る冷気に安らいでも
はらみつの望みはいつだって
待ちぼうけばかり
***
牧歌的なワルツっぽい旋律が出てきたので
妙に気に入ってきました。
これも含めて、
「嘆き歌」で括れそうな
歌がいくつかあるので、
それをまとめて音源にしようかな
なんて考えたりしているのですが
まずは5月7日に
人が集まるかとか
来月の生活費は無事に入るのか
とかを考えた方が良い
でも、未来の想像ができる
というのは、
それ自体わたしは苦手なので
良いことだなあと
春の日を楽しんでいます。
まあどうにかなります。
春は青空が良いですね、
葉も花も映えて。
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【公演等のお知らせ】
◆5月7日(木)18:30開場 19:00 開演
おまもり歌 弾き語り 歌舞いライブ
日本語のオリジナル曲
@ムリウイ(東京・祖師ヶ谷大蔵)
2500円+1ドリンク
ご予約 tomomi.paromita@gmail.com まで
※
ジョイグル
(バウルの挨拶
「あらゆる命が本来に輝きますように」)
今日も明日も良い日でありますように。
パロミタ
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