3月22日、歌舞いのソロ公演を行います。

プロフィール

 

ヨガと神話を繋ぐ歌をうたい、画を描いています。

…と言われても、意味が分かりませんよね。

もう6年以上、
インドと日本を行き来しながら、修行しています。

…と言われたら、ますます意味が分からないかもしれません。

私自身、もう何年もの間、
自分をどう説明すればよいのか、決めかねて来ました。

よく「あなたにはインスピレーションをもらう」
と言われ、それが私の役割と思うようにもなりましたが
自分自身を表す言葉を、ずっと見つけられずにいました。

ここ一年というもの、
時間とお金を可能な限りのギリギリまで使い込んで
そこに向き合い、取り組んで来た結果が、

「ヨガと神話を繋ぐ歌をうたい、画を描いています。」
という文章です。

ここでは、なんでこんな事になったのか
順を追って語ってみたいと思います。

ちなみに、どんな「うたい」かと言うと、
こんな事をしています。

「普通」になれない子ども

個性が叫ばれたり、
「普通の〇〇」が強調されたり
今も昔も、忙しい時代です。

私は、この間も「個性の塊だもんね
と言われましたが、
ずっと

普通になりたい
というのっぴきならない渇望と
(どう努力しても無理でした)

他の人と同じになりたくない
というプライドの間で

葛藤してきました。

多分よくある話ではあって、
これをざっくり括ると、
「他の人と自分を比べて苦しんでいた」
という事になるでしょう。

「普通なんて無いよ」と言う友人もいましたが
私に言わせれば、

「それは『普通』を察知する能力
のある人間にしか言えない言葉だよ!」

というところで

多くの人が、何となく漂っている空気を
何となく察知して、掬って、
その上でそれを取り入れたり、
否定したりしながら
生きていけるのに

私は、そもそも「察して」「掬う」作業が
できませんでした。

勉強ができて成績が良くても
その意味で
自分は人間の落ちこぼれだと
思っていました。

その劣等感を忘れられるのは
小説や漫画に没頭している時。

だからけっこう長い間、
私は漫画家か小説家になりたかったのです。

私みたいな子どもの事が理解できる
先生になるのもいいなと
思っていました。

10代までは、
ずっと絵を描いていて、
部活はずっと美術部でした。

物心つく頃には絵を描いていた私にとって、
画は、誰に否定されても
揺るがない価値のある、
私の砦でした。

美術大学に行かなかったのは、
ある意味、それだけ
絵を描く事が自然だったから
かもしれません。

私は歴史や古い文化、
そして国際社会のようなものに
強い関心がありました。

ある時、
「あ、大学は日本じゃなくてもいいんじゃん!」
と気づいて、
幼い頃に暮らしたオーストラリアで
再び学ぶ事にしました。

ひとりっ子だったからこそ
可能な事でした…経済的に。

この時、もう
日本に住むために帰る事は
無いだろうと思っていました。

正直、閉鎖的で保守的な
(そう思っていた)
日本社会で暮らす事は
もう限界だと
心底実感していたのです。

オーストラリアの青春

オーストラリアでの大学生活は楽しかったです。
私の青春は大学時代でした。
高校生までの鬱屈とした学校生活が
嘘のように

友情や勉強を
めいっぱいに楽しみました。

サンスクリット語(インドや仏教の古い言葉)と
言語学という、マニアックな学問だったので
「それで将来どうするの?」
と聞かれたりもしましたが

将来を考えて
勉強する事を決めるのって
意味が分からなくない???
と、割と本気で、質問が理解できませんでした。
(今はもう少し、分かります。)

自分で稼がなければ!という意識が
なぜか強かったので、
バイトもたくさんしました

その間も、
合気道の稽古に週6で行っていた
勉強も大好きだったから全く手を抜かなかった

周囲からは、
「なんでそんな事できるの?」
みたいな事を言われていました。

オーストラリアには4年半いて、
大学を優等学位つきで卒業しました。

でも、卒業したら
日本に戻って来る事にしました。

彷徨う日々〜日本からインドへ

なぜ日本に戻って来たのか。

端的に言えば、
オーストラリアに住んでいて
オーストラリアの嫌な面もたくさん見て

結局、保守的で閉鎖的なのは一緒じゃないか、
と思うようになったからです。

その上で、外国人として暮らしていく事に
ストレスを感じるようになっていました。

更に、オーストラリアで最初の3年ほど
「それが仕事なんだよね」
と揶揄される程に通っていた合気道に
ある時から、急に行けなくなりました

今でも不思議なのですが
ある日道場に行くと、
「あれ、なんか無理…」と拒否感が出てきて、
それでも稽古に参加したのですが
途中で耐え難く、気持ち悪くなってしまって

その後、何度かは端で座って見学しましたが
妙な拒絶感は消えず
復帰する事はできませんでした。

先生も、稽古仲間も、
皆良い人たちでした。
だから今でも、不思議です。

それから、合気道に代わるものを探して
ちょっとダンスを習ってみたり
ヨガを習ってみたり
したのですが、
しっくり来ること無く

敢えて言うなら、
インドの古典声楽をやりたかったのですが
身近にすぐに習える先生もいず
続ける事ができませんでした。

夢中になって取り組める事が無い、
身体を通して学ぶ手段が見つからない
という事は、
私にとっては中々キツイ事でした

その後、2年ほどは日本でバイトをしたり
大学院に入ってみたりしたのですが
日本での生活もすぐに限界が来て、

インドでの就職を決めて、
インドに移住しました。

この世は地獄だ、どこに行っても。

大きな希望を持って行ったインドですが
まず、企業はインドでも企業でしたし
(これが非常に大きかった)
住んでいるうちに見えてくる事も色々あり

3つの国に住んで分かった事と言えば、

「この世は地獄だ、どこに行っても」

という事でした。

この頃は、それでもできる限り
音楽を学ぼうとして、
時間を無理くりやり繰りしていましたが、

たとえば週末に
一日涙が止まらなくて
終日外に出られない
などはザラで

後から思えば、
これはその前の日本にいた時からですが
完全な鬱状態だったな、と思います。

この頃は感情のコントロールも
非常に難しかったです。
というか、できなかったです、全く。

結局、2年を待たずに辞める事になったのですが
(1年で辞めようとしたのを引き止められてこうなった)

その終盤で出会ったのが、
今の師匠、パルバティ・バウルでした

師匠との出会い、信じる事

師匠について、どう語ればよいのか。

初めは本当に、数曲の歌を
学ぶだけのつもりでした。

しかし、5曲目に学んだ歌は、
それまでの哲学っぽい詩とは趣が違い
何やら宗教っぽい…
と、当時の私には思われました。

『向こう岸へ
私をつれて行って
一人では渡れない
あなたの慈悲なしには』
(ラロン・ファキール)

「ずいぶん、宗教ぽく見える歌ですね…」と
曲の率直な感想を伝えると、師匠は言いました。

「これは、どんな事に取り組む時にも必要な態度。
何かに取り組む時は、自分の身を捧げて取り組むこと。
普通の人は、何かが起きた時、怒りや悲しみを目の前にいる人に向ける。
行者はどんな感情でも、それが怒りなど負の感情でも、喜びでも、天に向ける。
それが、普通の人と行者の違い

この時、私は、
他人や社会に期待しないという事が
あまりにも当たり前になっていました。

でもこの時に、
瞳の中に星を浮かべるようにして
師匠が語った言葉を聞いて
まずは相手を、
世界を「信じてみる」ところから
始めたい、
思いました。

それから、日本に帰国してからも
このうたを何度も歌ったところから
私は、修行の道へと入って行きました

師匠に出会った事で、
日印を行き来する生活が始まりました。

彼女の元で学んでいる事を、
簡単に言い表す事はできません。
このブログや様々な場を通して
少しずつお伝えしていければと思います。

これまで数々の苦難があり、
振り返ってみると
恵まれて生まれたくせに、
やたらに苦しんでばっかり来たな…
という印象になるのですが

それを潜り抜けて
今の
割とスッキリした心境にあるのは

様々な出会いも含め
師匠とのご縁を通して
導かれたものだと思います。

日印を行き来しながら、
絵画活動を再開したり、
2017年に許可をいただいてからは
公演活動を始めたり
やっぱり身体性を深めたくて
武術の学びを再開したりしました。

アーティストとして生きようと腹を括った

今の活動を語る上で避けられないのは、
ある温泉旅館で
仲居さんの住み込みバイトをした時の話です。

端的に言えば、ひどい職場環境でした(笑)

それまで「女性は味方」という環境で
育ってきた私は、
音に聞くような陰湿な「女の世界」
を体験したのは初めてでした。

「これは、一度ぐらい
無責任になってみろという啓示か…?」と、
即日退職する事も考えましたが、
私が入った数日後に一人、
いびりに耐えかねて辞めてしまったので、
さすがに年末の繁忙期に辞められなくなってしまいました。

(辞めたのは、そこで一番私が親近感を持った女の子でした)

それで「いつでも辞めてやる〜」と思いつつも
続けていたある日、
そこのドン的な仲居さんが皆を集めて、

「皆さんお金を貰っているんですからね。
分かってますか?」

というような話をされました。

具体的な言葉はもう覚えていないのですが、その時に

「お金を受け取っているからと、
何でも言うことを聞かなきゃいけない、
何でも耐えなければいけないというのだったら、
私は金輪際、時間を売る事はしない」

と強く思ったのです。
これは私の誓いとなりました。
「もう二度と時間は売らない」

それでも任期いっぱい勤めましたが。
(年末年始の短期雇用だったので)

それからは、アルバイトをするにしても、
基本的には出来高制だとか、
歩合制のものに絞りました。

さて時を同じくしてというか、
この期間、私のバウルの修行も進んできて、
奉仕の精神というものが私の中に強く根付いて来ました

奉仕[セーヴァ]とはどんな事

それが先ほどの誓いと相乗して
何が起こったかと言うと、

私がそれなりのスキルを持っている
翻訳や通訳、その他イベント雑務等々で貢献したい人々

予算ギリギリでやっている

お金は関係なしに貢献する

お金が出ても貢献したくないものには貢献したくない

これらの社会的有能系のスキルは奉仕ベースでしか提供したくない

という事が起こりました。(笑)
(笑)と付けていますが、私は真剣です。
社会的有能系のスキルは奉仕ベースでしか提供したくない。

そうすると、
アーティストとして生きる事に
腹を括るしか、
選択肢は残されていなかったのです。

それまで、「アーティスト」と
自分をカテゴライズする事には
かなり抵抗がありました。

それは、どうしても「自分を見せたい」という、
エゴのイメージと付き合わざるをえないから。

しかし貢献したいものに貢献していく
生活をするためには、
私自身が人様の情けに頼って生きるしかない、と
腹を括った時、

この現代では、その生き方はアーティストになるのだと、
それまでも散々、個展やら公演やらやってきて
今更ではあるのですが、
ようやく受け入れたのでした。

画家として生きる

さて、決めたは良いけど、
アーティストとしてどのように先立つものを得るか。

公演収入で身を立てるには、
私も私が学んでいるバウルも日本では知名度が低いし、
何より、師匠からいただいているものですから、
公演チケットの値段は上げず、
興味を持った人が誰でも来やすいように、
大切に育てていきたいと思っていました。

すると残るのは、必然的に画の道でした。

物心つく頃には絵を描いていた私にとって、
画は、誰に否定されても揺るがない価値のある、私の砦でした。

しかし一方で、あまりにも自然なものであったから、
たとえば何かスタイルを決めるとか、
売り出し方を考えるとかいった事が、
全然できていませんでした。

それもあってか、
個展を始めて2年ほどは
それなりに売れていた作品も、
ここ2年ほどはほとんど
売れなくなっていました。

しかし、折良くと言うべきか、
自分の収入の道を決めかねている間も
心身の修行を続けているうちに、

この頃、私は自分が画で表現したい事、
表現できる形というものを見出しつつありました。

それは、修行を通して、より豊かに実感されて来る、
内面世界を目に見える形として可視化していく
という事でした。
これが、ずっと惹かれてきた
文様の世界とも少しずつ溶け合って来ました。

そうして描いた画は、私自身を、
ちょっと陳腐な言い方ですが、
「癒して」くれました。
画のキメもどんどん細かくなっていきました。

過去の私に贈るように描くという事が
明確になって来て、
これは他にも響く人
必要とする人がいるだろうと
自然と思われるようになりました。

この過程を通して、
私は自分の描いた画の価値を迷わなくなりました。

あえて言うならば
不遜にもアヤしくも聞こえるかもしれませんが、
めざすのは、そしてこうありたいというのは
行者の画です。
修行の中から生じて来る画。

仏像を彫り続けた円空のように、
行者である事を妥協せずに、
むしろ、より深く豊かにする活動として、
アーティストができるとよいなと思います。

 

現在は、2020年春に予定されている
個展に注力しています。

天竺画の展示は
2020年4月26日〜5月2日に、銀座で予定されています。

それに先立ちまして、
天竺画以前の作品を、

で販売しています。

これは、展示の資金集めという性質もあって、
かなりお手頃な価格での販売になっております。

2019年末〜2020年初めもインドに修行に行くのですが
それから帰ってきて、個展の準備に注力…
となると、「お金を稼いでいる暇が無い」
という事に、気がつきました。

だから、なかばクラウドファンディングのようでも
あるのですが

古くは2011年から、2018年までの間に
日本とインドを行き来しながら、
その時々の感動をしたためてきた画です。
2018年は、久々に帰郷したオーストラリアでの
感動や衝撃も色々描いています。

この頃の、ある種の素朴な描き方は
もうこの先、できないでしょう。

パロミタの活動を支援してみたいという方
単純に気に入った画があった方
お友だちに贈ってみようかなという方

まずは、見てみてください。
それなりに数があるので、たぶん楽しいと思います。

ぜひご覧下さい。