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文化的通訳でありたい

数日前に、こんな事を書きました。
ちょうど、3日間の通訳のお手伝いをさせていただいていた時の
たしか一日目の夜、
そんな話題が目に入って、考えた事です。

小さな個人や団体の
小さなイベントだけではなくて、
もうずいぶん前の話ですが、
国民的な詩人の公開対談でさえ、
主催の方の内輪で通訳を出していて
その通訳が、すみません、あまりにもひどくて
ワナワナと震えた事がありました。

いくら日本人は英語が苦手とは言われていても
できる人はできます。
たぶんフランス語や中国語や韓国語より
まだ随分、分かる人は多い環境であって
少なくとも、それなりのレベルの通訳もいないような
少数言語では無いのであって

こんなに集客力のある催しで
こんな通訳はありえない、し
通訳のレベルが明らかに対談の質自体を
致命的に落としていました。
しかも、詩人の、詩についての
対談なのに!

どう考えても、
通訳を担当した方を含めて
誰も得していないという…
もう、とにかく何か、
悔しかった出来事です。

特に文化的な文脈では、
確かに、言葉なしに伝わるものも
言葉では伝え得ないものも
絶対にあります。

それでも、その言葉以前のものを
それぞれ伝えるために
言葉を、心を砕いて
用いているのに
あまりにも言葉が
軽んじられている
感じる機会は多くありました。

たとえば、これは以前
学習塾で働いていて実感した事ですが
小学生や中学生では、
かなり個人差があるけれども
相当少ない語彙で
生活をしている子達がいました。
(そのまま大人になる方も
多いのかと思います。)

でも、問題なく生活出来ている。

知らない言葉は
意識すらしない間にスルーして
分からなくても
「何となく」の感覚でカバーする
分からないとそのまま
ボーッとしてしまう。

外国語に関しても、おそらく
同じ事が起きるので、
主催の方が
その方の言葉の理解度で
「よし、これで充分!」と
思ってしまうと
そのイベントや界隈では
翻訳や通訳はフワフワと
どこか迷子になってしまうのです。

これまで私が
本当に小規模ながら
企画したり、関わって来た機会では
「言葉の重要性」
「言葉を理解する事でしか触れられないもの」
をできるだけ
伝えようとして来ました。

勘違いかもしれないけれど
それで、
少なからず問題意識が
変わって来たとも
感じています。
一人でも、うるさい奴がいると
意識的になる
という事、かもしれません。

私にとっての通訳

なぜこれ程、通訳に
こだわるように
なってしまったのかしら。と、

思い返してみると、
ひとつは割と単純に、
私にとっては
かなり自然にできる
能力だった、という事が
あると思います。

「バイリンガルである事と
通訳できる事は全然違う」
とはよく聞かれますが
私にとっては
違わなかったのです。

もちろん、専門用語などは
分からないし、
どの分野でも出来ますとは
口が裂けても言えません。
ただ少なくとも、
何が理解できて
何が理解できなかったかに
私は自覚的である事ができます。

たぶん、初めて言語学入門の授業を受けた時に
何の苦も無く理解できた、
全く苦労しなかった事に
通ずる何かなのだと思います。

しかし同時に、
幼い頃は話す事が苦手で、
今もそういう所はありますが
考えた事や思いを
言葉にしていく事が
とても難しかったです。

その分、言葉への憧れや
言葉を重く取る所や
言葉の力を夢見て、
そして信じている所が
あるようにも感じています。

だから、「エッ」という通訳に立ち会うと
一々、ショックのようなものを
受けてしまい、
ツイートしたように、
「だったら私にやらせてよ」
という炎のような衝動に
駆られるのです。
(英日か日英に限りますが)

憧れの通訳

今までで一番感服して
一番感動した
憧れの通訳は
インドでの事
MtFの方のタミル語(カンナダ語だったかもしれない)を
FtMの方が英語に訳す…
と言うと、そのシチュエーション自体が
興味深く思われてしまうかもしれませんが
(実際、波乱万丈な彼女の話は
とても衝撃的で、スキャンダラスですらありました)。

でも、とにかくこの方の通訳が
素晴らしかったのです。
完全に話に没入し
乗りに乗って長くもあった
彼女の話を、
通訳の方はずっとメモに取り続けていて、
いざ通訳を始めると、
ものすごく滑らかで、美しく、
詩的で、力強い英語で
彼女の語りを
紡ぎ始めたのです。

私はタミル語もカンナダ語も
分かりませんから、
もしかしたら、
私は見当違いな賞賛をしているのかもしれません。
でも、同時に
そんな問題ではないぐらい
圧倒的に「彼女を伝えている」事が
その場の誰にも分かりました。

今でも、あんな通訳が
できるようになりたいと
思っています。

通訳である事

私の通訳歴は、主に
インド人アーティストの通訳
を中心としていますが、
元々オーストラリアにいたので
特にインド英語が専門とか、
そういう訳ではありません。

大学をしっかり卒業しているので、
特に文化系の語彙には
相対的に対応できる方だと思います…

というより、英語は
母語ではないけど
第1.5言語ぐらいではあるので
基本的には内容が入って来て
それを日本語で出すだけです。
(日英の場合も、言語の位置が逆なだけ)

私にとって通訳する事は
「ギフト」天与の力であって
世の中に貢献するわざです。

奉仕[セーヴァ]とはどんな事

通訳するのは
もちろん言葉なのですが、
実際には文化を、
個人でありその人の背景まで含む
異文化を
通訳する存在でありたいと
いつも思っています。

通訳や翻訳については、
色々と語りたい事がある…
という事を今回、自覚したので
これからも書いていきたいなと思います。

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